ブログのネタが無い・・・(-_-;)
最後の手段「今日は何の日~毎日が記念日~」を見てみても、
1875(明治8)年のこの日、明治政府が「平民苗字必称義務令」という太政官布告を出し、
すべての国民に姓を名乗ることを義務附けた「苗字制定記念日」ぐらいで広がらない(=_=)
デぇー今さらだけど、くるくるToJinがある場所について書いてみます。
唐人町プラザ甘棠館の『甘棠館』って何かご存知ですか?
甘棠館(かんとうかん)は福岡藩にあった藩校の名前で当時,福岡藩には東西両学問所がありました。
東学は修猷館と呼ばれ,郭内大名町(現在平和台バス停付近)に,
西学は甘棠館と呼ばれ郭外唐人町(現在唐人町バス停北側)に設けられていたそうです。
甘棠館では主に徂徠(そらい)学が講じられ、ほかにも「独看」という、
生徒自身による自主・自発の学習を重んじる科目があり多くの俊才がでたそうです。
初代館長の亀井南冥は儒学者で医師、自由な学風で人気を呼び南冥をしたう子弟で活気に溢れていた
そうですが、寛政10年(1798年)、近くから出た火が大火となり、甘棠館も南冥の屋敷も類焼してしまい、
幕府より学問統制を目指した「寛政異学の禁」の政策が出され、朱子学が本流となったこともあって、
甘棠館は残念ながら再建されませんでした。
わずか14年間でその生涯を閉じざるを得なかった甘棠館は、悲運の藩校と言うべきでしょうが、
語りつくせない物語がそこにはあるのでしょうね。 ボソボソ( ‘o’)ウソマジ?(‘o’)ダベ?( ‘o’)マジデカ?